東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8490号 判決
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【判旨】
二<証拠>によれば、武蔵野産業は昭和四一年頃から原告との取引を開始し、以来継続的に取引をしてきたが、昭和四八年秋のいわゆる石油シヨツクに引続く業界の不況に対処するため、被告池田が経営縮小の方針をとつたことに加えて、原告からの納品不良をめぐるトラブルもあつて、昭和四九年七月右取引を中断したこと、しかし、同年一〇月に至り、原告から、武蔵野産業を介して、被告池田の実兄の経営する東光電線、共立電気に原告製品を売込みたいとの申入れがあり、被告池田がこれを承諾したため、同年一〇月から取引が再開されたこと、そして、右中断前においては、その取引高は月間数十万円から一〇〇万円前後どまりであつたが、再開後は別表(1)欄記載のとおり同年一〇月二〇〇万円台を皮切りに、昭和五〇年四月の七九〇万円余を頂点として、同年七月末武蔵野産業倒産まで毎月五・六〇〇万円台とその取引高は急増し、武蔵野産業の仕入高に占める原告製品の割合はほぼ八割に達するに至ったこと(武蔵野産業が仕入の八割を原告に依存していたことは当事者間に争いがない。)が認められる。
三ところで、<証拠>によれば、武蔵産業は、昭和四九年一二月頃から、原告から仕入れた電線類の一部を被告池田の実兄の経営する東光電線及び共立電気に右仕入価格を割つて廉価販売しており、その廉価販売額及びこれによる差損金額は別表(2)、(3)欄のとおりであることを認めることができる。しかして、右別表(5)欄によれば、その廉価販売額の原告からの仕入額に対する割合は、昭和五〇年三月には30.4パーセント、同年四月には40.8パーセントにも達していることが認められる。
しかしながら、<証拠>によれば、当時は、昭和四八年秋のいわゆる石油シヨツクに続く全般的な業界不況の下に、極度の需要減退から激烈な過当競争裡にあり、ともかく納入先に納品して販売単価は後日取決めるといつたような取引すら行われる情況にあつて電線相場を左右する銅相場の暴落含みの変動もあり(因に、<証拠>によれば、昭和四九年四月二〇日当時の仕入単価一、二二八円であつた電線が昭和五〇年六月三〇日には七一三円に下落した。)、利益率は全般に甚しく低下していたことに加え、昭和五〇年三月中旬には武蔵野産業取引先の訴外寺島電機株式会社が、次いで同年四月中旬には同じく取引先の訴外青山製作所が倒産したため、武蔵野産業の右両社からの合計七四〇万円に及ぶ受取手形が不渡となつたこと(武蔵野産業が七四〇万円に及ぶ不渡手形を受取つたことは当事者間に争いがない。)、そこで、被告池田としては、割引を受けていた右各手形買戻のための現金調達の必要に迫られ、いきおい、実兄の経営する前記東光電線、共立電気両社に依存することを余儀なくされ、右両社に原告からの仕入商品を入れて現金を引出した結果が前記数値となつて顕われたものであることが認められる。
してみると、先にみたとおり、廉価販売高の原告からの仕入高に対する割合は昭和四九年一二月から翌五〇年七月を通してみても別表(5)欄のとおり決して低いものとはいえないがその平均値引率は別表(4)欄のとおり昭和五〇年五月の20.1パーセント、同年六月の24.9パーセントを除けば、昭和五〇年四月まではほぼ一〇ないし一五パーセントであつて、<証拠>により認められるように、原告と武蔵野産業との間の取引約定による支払条件が毎月末日締切、翌月二〇日一五〇日満期手形で支払の約であつたことから明らかなとおりかなり長期決済であることを考慮すれば、現金取引の値引率としてはそう高率であるということはできないし、また、別表(6)欄のとおり、毎月の値引差損額の仕入高に対する割合はせいぜい数パーセントの範囲内にとどまつていることや、被告池田が倒産した前記両社と取引関係をもつたことにつき経営者として責められるべき点の存することを認めるに足りる証拠もないことに加えて、前記認定の諸事情を勘案すれば、被告池田による前記廉価販売も、二度目の受取手形不渡事故が発生した昭和五〇年四月までの間にあつては、単なる投売とみることは当らず、窮状に陥つた武蔵野産業の立直りを計り、何とか苦境を切り抜けようとする経営努力として許容し得る限度内にあるものとみる余地が残されているものというべきであつて、右廉価販売を捉えて直ちに悪意又は重大な過失に基づく任務懈怠に当るものと断ずることは困難であるといわなければならない。
しかしながら、武蔵野産業の経営規模(別表(1)欄のとおり原告からの仕入が武蔵野産業の総仕入額の八割を占めていたことは前述のとおりである。)に照らし致命的ともいうべき七四〇万円に及ぶ受取手形の不渡事故発生後の昭和五〇年五月以降も原告との取引を継続したことについては、漫然従前の取引形態を維持したにとどまり、武蔵野産業としては極度の苦境に陥つていたにも拘らず、起死回生策と目すべき特段の経営努力が払われた跡は本件全証拠によるも認めることができないし、また、それから三か月後の昭和五〇年七月末には武蔵野産業が倒産し、しかも、前記認定のとおり、倒産時の武蔵野産業には会社債務の引当となるべき資産がほとんどなかつた事実に照らすと、前記取引先両社の不渡事故発生後の昭和五〇年五月以降においては、被告池田も、遠からず倒産という結果の発生が不可避であることを十分認識していたものとみて妨げないものというべく、それにも拘らず、前述のとおり格別の措置を講ずることなく原告との取引を継続し右支払のためすでにその満期日において支払見込のないことが明確な約束手形を提出した点について、被告池田には武蔵野産業代表取締役としての任務の遂行につき少くとも重大な過失による懈怠が存するものというほかはない。<証拠>によれば、その頃武蔵野産業は二、〇〇〇万円の融資を受けられる見込みがあつたというのであるが、右融資実現の確実な見込みが存したとの点については何らの裏付資料はなく、被告池田本人も自陳するとおり、当時の厳しい金融引締の最中において、たやすく融資が受けられるものとの見込をたて、安易にこれに期待を寄せていた点に経営者としての見通しの甘さを責められても致し方ない面があるものというべきである。
四ところで、原告が本訴で主張する売掛代金債権四三七万〇、九五〇円は昭和五〇年三月二〇日現在のものであることは前記のとおり当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、別紙手形目録の約束手形中(一)ないし(六)の約束手形は昭和五〇年二月二〇日(七)、(一〇)、(一一)の約束手形は同年三月二〇日、(八)の約束手形は同年六月二〇日、(九)、(一一)の約束手形は同年七月二〇日に、それぞれ原告に対し、武蔵野産業名義で被告池田から振出交付されたものであることが認められる。
そうすると、前判示に照らし、被告池田は、昭和五〇年六月以降振出にかかる別紙手形目録(八)、(九)、(一二)の約束手形については、満期日に支払見込のないことを知りながら振出したものというべきであるから、原告の被つた損害中右各約束手形金合計三六五万八、一四〇円に相当する損害は、被告池田の前示任務懈怠行為と相当因果関係を有する損害というべきであり、これについては、同被告は商法第二六六条の三第一項前段の規定により賠償義務あるものというべきである。
しかして、被告片桐が武蔵野産業代表取締役を辞任し、昭和五〇年三月二二日その旨の登記がなされていることは前述のとおり当事者間に争いがない。そうすると、右認定の被告池田の原告に対し責に任ずべき任務懈怠行為がなされたのは、被告片桐の退任後であることは明らかであるから、それ以上判断を加えるまでもなく、被告片桐はその結果につき右法案により責任を負うべき理由はない。
したがつて、原告の本訴請求は、被告池田に対し、右損害賠償金三六五万八、一四〇円の支払を求める限度において理由があるものというべきである。なお、原告は、右損害賠償金につき訴状送達の翌日たることが記録上明らかである昭和五〇年一〇月一六日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めているが、右損害賠償債務を商事債務と認むべき理由はないから、民事法定利率年五分の割合による限度で認容すべきものと解するのが相当である。
(落合威)